第十九話 明日無き渓

斜面のだいぶ上に 其の建造物が収まるだろう位置 其処には白地に赤のサインが付いた看板が
目立つ もう工事も佳境なのか急ピッチで進み 谷沿いの路はゲートも設けられ 車での進入も制限され
だした 工事用の取り付け道路は 大型ダンプが土煙を舞い上げては 其の先で重機が這いずり回る。
やっとの思いで 規制個所を抜けてみると其処は ダムの完成した暁には 其処に流れ込むだろう
各谷のバックウオーター辺りの林道入り口は 全てにゲートが新設され 車での進入を阻む・・・・・
「工事中立入禁止」の看板は くどいように其処かしこに立つ。  深い緑に覆われた 思いで多い
釣場の数々は 其の余命を幾らも残していない。

其の谷は どちらかと言えば小渓で 水量も左程
豊かでは無い!  しかし一旦緩やかな流れに
立ち込むと もう溢れんばかりのヤマメが出迎え
其の奥地では 驚くような良形の岩魚も よく
竿を曲げて呉れた流域だった。
数箇所の出作り小屋を除けば 最奥地にあたる
一軒の宿 そこいら辺りの深淵では 尺超えの
ヤマメも 良く出会える 其れは其れは魅惑的な
釣り場として 存在していた。
寒村の寂れた雰囲気を漂わせる 其の宿も
今では取り壊されて 重機による地均しで もう
何処に有ったかさえ 判らないようになっていたが
そんな名残さえ 何れ完成したダムの湖底へと
消えてしまうのだろう。

渓沿いの木々に見え隠れする そんな宿の佇まいを 左手に見送りながら 荒れた地道を上流向け
車を進める この渓が迎える運命を 知る由も無かった時代の話と成る! 其処は以前から土砂の
流出量が多かったとみえ 砂防堰堤は 谷の奥地 こんな所までと驚くばかりの地点まで設けられ
其の中には 一体何時の時代に造られた物なのか 見るからに古く 崩れかけている石積みの物
さえ残り 水質は濁り お世辞にも清水との表現はあたらない。
なかでも一際大型の 砂防堰堤の上部を覗き込んでみた! 其れは堰堤と云うより もう小規模の
ダムと呼んだ方が適切だろう 其のプールへ流れ込む 二又辺りに見当を付け 太目の檜が立つ
尾根を下り 粘土質の土砂が堆積する川床へと立った。
ワサビの群生する 際どい斜面を抜けても 相変わらず水は白濁し良くない 以前に釣り人が
一体何時入ったのかさえ 到底判らない奥地でも まだ堰堤の存在が窺い知れる 釣りの方は
8〜9寸の岩魚が 適度に釣れ続き ”おい一体何するんだ!” とでも云いたげに クリッとした
目に ポカンと空けた口が 可愛い。

大きな一枚岩に占められた 谷底を釣り上がり
2.5b程の オーバーハングする 黒い石積みの
ゴルジュ状と成る滝に出会う 其の落込みでは
9寸ばかりの岩魚を 三本追加して 上部を窺う
左岸は草付きを残す垂直の岩場 右岸の尾根に
そのルートを辿るが 滝の上に降りるコースは
見つける事が出来ず 上へ上へと追いやられ
しかもトラバースすら出来そうも無い 思い直し
再度谷底へと戻り 滝の落ち口脇へ 流木を
立て掛け 其れを足場に釣友をショルダーで
滝上へ押し上げる 落ち口の黒い大岩は磨かれ
ツルツル滑り 難儀では有った!
左岸から張り出す 根元から曲がる立ち木に
細引きを回すと 其れを頼りに釣友の手を借り
一気に乗り越した。

流木が積み重なる 荒れた渓 谷が大きく右へと曲がる処で 高さ20b程の 古い堰堤に出会う
苔むした其れは もうどれだけの時間 此処に居座っているのか窺い知れない 広い落込みの中
ミルク状に白濁した水中からは 次々と岩魚が踊り出し この谷の懐の深さを感じさせる。
傾斜の強い 左岸の草付きに貼り付き 上部に有るはづの 深く草木に覆われた車道跡を目指す
滑りやすいフエルト底の地下足袋では 何度も足をとられ 汗だくにと成りながら 這い上がる
背丈程の草付きから 僅かに開ける頭上を見上げると 何処までも青い空 其処に高く佇む姿は
時代の変節を 眺め続けてきた モスグリーンの影。

                                                 OOZEKI